3. 新ジャンル遊技機の誕生
チューリップ誕生に平行して、実は画期的な新ジャンル遊技機も誕生していた。1958年に藤商事が「じゃん球」の製造を開始。業界初でリースにて全国に販売を開始した。当時発売されたものは、コイン1枚を投入することにより、 封印式の上皿に出てきた14発の玉の打ち出しを1ゲームとしたもの。盤面の一番下に麻雀牌が書かれたポケットがあり、入賞するとその牌が成立。14球で何らかの役が成立すれば、コインが払いだされるという仕組みだ。初期にあったメダル式パチンコに似た風貌により、一部で人気は継続。そしてこのゲーム性は、1972年に認可され誕生する「アレンジボール」へと続くことになる。
ちなみにこの「じゃん球」は、近年にも発売されている。2003年までは、3枚200円のコインを投入、14球が封印式上皿に出てきて14球の打ち出しを1ゲームとするゲーム性だった。これは「じゃん球」「アレンジボール」にも共通した内容で、役の成立でコインが下皿から払い出される仕組みだったが、2004年に規則が改正され内容が変化。コインは1枚20円になり、パチスロと同じコインを使用することとなった。なお2007年に発売されたサミー製じゃん球「ドリームジャンベガス」は、コイン3枚投入で14枚の配牌が液晶上に表示され、不要牌を捨てながら11球の打ち出しをし、役が成立したらコインが獲得できる内容だ。サミーからはその後も「ぎゅわんぶらあ自己中心派(2010年)」や「手打ち雀球伝道録カイジ(2012年)」などが発売されている。
また1964年には、公安委員会が正式に認定した「オリンピアマシン」も発売された。初めての認可機はセガ社製「オリンピアスター」で、1メダル1ライン機のボーナス無しという仕様だったようだ。東京オリンピックの年と同年だったため「オリンピア」という名前が付けられたらしい。認可が受けられた大きな理由は「ストップボタン」を搭載したために「技術介入性」が加味され、偶然以外の要素があると判断されたため。ただし、都道府県により許可・不許可の温度差はあったようだ。しかし慣れれば目押しで図柄をそろえる事が可能なゲーム性だったため、普及はしなかった。しかしこれが、現在の「回胴式遊技機」であるパチスロへと進化を遂げる第一歩となった事は確かだ。この時代に誕生した数々の発明品は、まさに現在のパチンコ産業を支える礎となっているといえるだろう。
(以下、次号)
■プロフィール
鈴木 政博
≪株式会社 遊技産業研究所 代表取締役≫立命館大学卒業後、ホール経営企業の管理部、コンサル会社へ経て2002年㈱遊技産業研究所に入社。遊技機の新機種情報収集及び分析、遊技機の開発コンサルの他、TV出演・雑誌連載など多数。