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【特別寄稿】パチンコ産業の歴史③「第2期黄金時代~大発明!チューリップの誕生」(WEB版)/鈴木政博

投稿日:2022年5月30日 更新日:

2. 第2期黄金時代の始まり
1960年、チューリップの誕生とともに産声をあげたのが「日本遊技機工業協同組合(日工組)」と「全国遊技機商業組合連合会(全商連)」だ。この両組合は現在でも活動中のものだ。日工組は発足当時、何と加盟60社で設立されている。1963年に「日本遊技機工業協同組合」は加盟組合員54社で「日本遊技機工業組合」に改組、現在に至る。また同じく全商連も1989年に協同組合の認可を受け「全国遊技機商業協同組合連合会(全商協)」に改組されている。

このチューリップの誕生とともに1960年には「東京台東体育館」でパチンコ機展示会が開催。1962年には「大阪府立体育館」でもパチンコ機展示会が開催された。1963年に日工組が改組されると、同年にも東京で「パチンコ機展示会」を、翌1964年には大阪で「西日本遊技機展示会」を開催する。この間、チューリップ人気は西日本を中心にどんどん高まっていった。本誌「遊技日本」が創刊されたのは1961年なので、バックナンバーにてこの辺りの展示会の様子も記事でうかがい知ることができる。

1962年「パチンコ機展示会」

1962年「パチンコ機展示会」

1964年「西日本遊技機展示会」

1964年「西日本遊技機展示会」

そして世間が東京オリンピックに沸いていた1964年、風俗営業等取締法の一部も改正されている。1ヶ月だった許可期間が3ヶ月更新に、18歳未満のパチンコ店への入場が禁止に、そして景品単価の最高限度額が300円になった。ここからパチンコは「大人の遊び」になったのだ。そしてホール数も1万店を回復、遊技機台数は125万台まで増えた。さらに1966年、遊技機基準の緩和により36種類の役物使用が正式に認可。これによりチューリップは全国的に普及、各地で爆発的な人気を博した。全盛期には製造·販売数が年間400~500万個と言われる程、チューリップ役物は、売れに売れた。同年7月に開催された「’66東京パチンコショー」も盛況でパチンコ業界は空前のブームとなり、ここに第2期黄金時代は頂点を極めることとなる。

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