2. フィーバー規制の裏で人気を支えた「ハネモノの進化と規制」
こうして「ハネモノ」は一ジャンルを着実に築き上げていった。一方で、業界は1984年の「フィーバー10カウント規制」が1985年には実施され、フィーバー人気は急速に衰えていく。賞球13個、10ラウンド、10カウントだから、出玉は最大で約1,300個程度だ。今のように確率変動も時短も何もない、しかもスタートの賞球も13個の機械は急激に人気を失っていった。その人気を支える一端を担ったのがハネモノだった。しかし、この「ハネモノ」にも一定の規制が入る。
1985年に「風俗営業取締法」が「風俗営業等の規制及び、業務の適正化等に関する法律」として新たに施行。いわゆる「風適法」だ。実はこの年から現在の検定制度が始まり、保通協による型式試験も開始するのだが、同時に「第一種(フィーバー機)」、「第二種(ハネモノ)」、「第三種(権利物)」というジャンル分けもなされた。この種分けは2004年の規則改正で種別撤廃となるまで続いた。現在の規則では既に種分け区分はないが、現在でも「一種+二種タイプ」などと呼称されるのは、この種分け区分があった時代の名残りだ。そしてこの1985年の風適法施行に伴い、フィーバー機では既に「10カウント規制」があったのに合わせ、ハネモノにも10カウント制限が設けられた。
しかし、元々アタッカーがラウンド中はフルオープンするフィーバー機と違い、ラウンド中も開閉を繰り返すハネモノでは毎回必ず10個以上を拾う訳ではなく、10カウント規制が入った後も、ファンの人気にそれほど大きな影響は受けなかった。そしてこの新規則施行後の最初の適合機種となったハネモノが西陣「レッドライオン」である。この機種はセンター役物内にヘリコプターを搭載した機種で、プロペラが回転する印象的な役物に合わせ、Vゾーン入賞時の爆音やサイレン音など派手なサウンド、また各所に散りばめられたランプなどが美しく、大人気となった。
また翌年1986年に平和が発売した「ビッグシューター」は、その画期的な仕様で伝説的な販売台数を記録した。一説では40万台を超え、50万台に迫る勢いだったという。この機種は、今まで「ゼロタイガー」から定番となっていた、センターの突起(つまり飛行機の先頭)をかわしてVゾーンに入るという基本的な作りを、役物内を上下二つのステージに分けて、ハネに拾われた玉はまず上段ステージ奥に吸い込まれていく構造にした。そして、上段ステージで回転しているローターの穴に入れば下段ステージに玉が落ちて手前に向かって転がってくる。そして下段手前センターがVゾーンとなっており、そこに入れば大当たりという仕組みだ。さらに画期的だったのは、その役物構造を利用した「継続率アップ」の仕様だ。それまでのハネモノでは、Vゾーン入賞後も、若干の違いはあれど大きく継続率が変化するものではなかった。しかしこのビッグシューターは「役物内に玉を貯留する」という前代未聞のアイデアで、継続率アップを視覚的にも訴えることに成功している。Vゾーン入賞後には、ローターが正面を向いて停止、しかもローター左右のハズレ穴にはストッパーが出てきて、玉をハズレ穴に入賞させず貯留する仕組みになっていた。左右のハズレ穴に向かった玉が貯留されてどんどん貯まっていき、最終的には行き場を失った玉がローターに入り下段に落ちる仕組みだ。ただし、ハネが8回開放すると、ストッパーが外れて玉はハズレ穴に吸い込まれてしまう。このドキドキ感も合わせて「ビッグシューター」は瞬時にして大人気機種となった。この「ビッグシューター」の動画はYouTubeの弊社「遊技日本チャンネル」でも紹介しているので、よろしければ合わせてご覧いただきたい。
こうして「ハネモノ」というジャンルは人気を不動のものにしていったが、そのゲーム性から、以前のフィーバー機に慣れた高い射幸性を望むファンを納得させる受け皿とまでにはなり得なかった。その高い射幸性を望むファン層が殺到したのは、ハネモノ人気の裏で誕生し、こちらも一大ブームを巻き起こしていく「一発台」の存在だったのである。
(以下、次号)
■プロフィール
鈴木 政博
≪株式会社 遊技産業研究所 代表取締役≫立命館大学卒業後、ホール経営企業の管理部、コンサル会社へ経て2002年㈱遊技産業研究所に入社。遊技機の新機種情報収集及び分析、遊技機の開発コンサルの他、TV出演・雑誌連載など多数。