2. パチスロの誕生
オリンピアマシンはあまり普及しなかったものの、ここからさらに各社の研究開発は進んだ。進化を続けた1977年、マックス商事が現在のパチスロの基本ともなっている3メダル5ライン機の「ジェミニ」を発表。「オリンピアマシン」で弱点と言われていた目押しによる図柄揃えを防止するため、ストップボタンを押してから実際に止まるまでランダムに時間をズラす物理的な機能を加えられているのも特徴だ。この頃になると、「オリンピアマシン」ではなく、「アメリカンパチンコ」と名称が変化し、ゲーム性も現在のパチスロに近くなっている。そして遂に1980年、革命的な機種が登場する。
奇しくも世間がフィーバーブームに踊る1980年に、2つの伝説的な機種が登場した。ひとつはユニバーサル(現ユニバーサルエンターテインメント)製「アメリカーナ」、そしてもうひとつは尚球社(現岡崎産業)製「パチスロパルサー」である。両者の最大の特徴は「ステッピングモーター」を採用している点だ。このステッピングモーターの採用により、レバーを叩いた時にフラグ抽選をし、その結果によってリールを停止させるという現在のパチスロのスタイルが確立されたのだ。また筐体についても「パチンコ型スロットマシン」として、それまでの面長からパチンコ機と同じ大きさの箱型になり、それまで設置面の不便さから敬遠してきたパチンコホールも、その扱い易さから徐々に導入を検討するようになった。ちなみにこの「パチンコ型スロットマシン」を略して「パチスロ」という名称が生まれ、一般化していく。このパチスロはその後、九州で本格的に導入が開始、それから飛躍的に認知度を上げてくこととなる。
ちなみに5年後の1985年には、日本のユニバーサル社(現ユニバーサルエンターテインメント)が、バーチャルリール実現のために「ステッピングモーター」を採用したリールマシンを、ラスベガスに初めて投入している。そしてステッピングモーターは他社製品にも瞬く間に普及し、現代のスロットマシンでは必須要件となる。アメリカ本土発のスロットマシンは輸入された日本で進化し、ついに日本発の技術が本家アメリカの革命をも成しえた瞬間であった。