【特別寄稿】パチンコ産業の歴史②「連発式パチンコの規制~復活!第2期黄金時代へ」(WEB版)/鈴木政博

2. 「連発式パチンコ」規制の内容
1955年3月以降の連発式の禁止に伴い、行政として各公安委員会が認めるぱちんこ機の基準として「一式」「二式」「三式」と呼ばれる3つのタイプのみが許可されることとなった。その内容とはどのようなものか。

まず「一式」だが、これは上皿がなく「手で一個ずつ玉を投入して発射するもの」だ。いわゆる連発式登場以前の形態だ。これは発射に時間がかかり射幸性は抑えられるメリットはあるものの、左手で一発ずつ入れるスタイルは、遊技者の労力も大きい。次に「二式」と「三式」だが、これらはどちらも「上皿付き・循環式」がOKなものだ。ここで言う「循環式」とは、セーフ玉が上皿に払い出されることで、手で発射玉を込める必要がない、という意味となる。機関銃と同じ形態ではあるが、これに射幸性を抑える仕組みを併せ持つことが条件となる。具体的には、「二式」においては「発射された玉がアウトかセーフかを確認した後でないと次の玉を発射できない仕組みも有するもの」で、「三式」は「一分間に30発以内の遊技球しか発射することができないもの」だ。単純にいえば、射幸性を3分の1にする、という規制内容であり、当然ホールの売り上げも、同一稼働の前提であっても3分の1に減少することとなる。もちろん「機関銃」と呼ばれた連発式循環式パチンコに魅せられたファンがこの内容で納得するわけもなく、人気、稼働ともに急激に低下していった。

この連発式禁止の規制内容を受け、ホール組合である「全遊連」も臨時理事会を開催、「危機突破対策委員会」を発足させるなど事態打開に動いたが、改善策は見つからずにホール件数も減少の一途を辿る。何と、最盛期に45,000店舗あったホール件数は同年中に12,300店舗にまで激減。減少率73%超という驚異的な数値だった。そしてその後も転廃業者が続出。閉店するホール、スマートボール店に転業するホールなどが相次ぎ、1956年には10,000店舗を割り込み9,300店舗に、翌1957年には8,400店舗まで減少してしまう。

一方で、最盛期は600社あったといわれるパチンコメーカーも多くが倒産、廃業を余儀なくされる事態に。まさにここに「パチンコ冬の時代」が到来したのだ。

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