3. 有利区間が3,000Gになった場合のゲーム性
次にゲーム性で言えば、有利区間1,500Gでは実現しづらかったゲーム性が可能となる点も多い。例えば5号機「バジリスク絆」の様な9回スルーしたら10回目は確定、といったものが考えられる。
絆では初当たりのAT「バジリスクチャンス(BC)」当選から、出玉増加のメインAT「バジリスクタイム(BT)」突入を目指すといった流れの中で、BC当選の天井は500G、かつBCからBTへの突入に失敗し続けてもBC11回目までには必ずBTへ突入する、といった仕様によって、適度なチャンスと、打ち続ければ自然とBT当選への期待が高まっていくバランスが稼働を支えた一因とも言えた。
これらの要素を6号機の「バジリスク絆2」では、有利区間が1,500Gという制約の中で継承する試み自体は見られた。しかし、天井に到達してからでもある程度の出玉を得られる可能性を残す必要があるため、純増3枚弱の絆2においては有利区間開始から800Gに天井と言える契機が発動する仕様としていた。ただしここではBT当選が確定するわけではなく、あくまでも(BT当選期待度の高い)BC当選という恩恵に留まり、非当選時には有利区間がリセットされ、また一からやり直しとなってしまう。スルー回数についても8回目までには必ずBT当選という仕様ではあるが、これも同一有利区間800Gの間に達成する必要があり、遊技の体感でも到達はかなり稀なケースとなっていた。
さらにいえば、絆はBCの種類に関わらず40枚程度の出玉が得られたのに対し、絆2のBC当選時の多くは増えも減りもほとんどしない現状維持状態として少しでもBTでの期待出玉を担保しようという狙いが見られたが、初当たりながらも出玉を得られないのは違和感に思う遊技者も多かったかもしれない。
では有利区間が3,000Gになった場合はどうか。まずは純増3枚以下の機械で、天井に到達してからでもある程度の出玉を得られる可能性を残す必要だが、1,000G残せば2,400枚上限到達まで十分過ぎるため、2,000Gは問題なく通常時として活用出来そうだ。またBC確率はシリーズ機を参考に設定1でも約1/140とし、仮にスルー回数を10回にした場合、平均で約1,400Gでの到達となり、ヒキが良ければ1,000G程度での到達が見込める可能性もあるし、どんなに運が悪くても2,000Gで天井を迎えることが出来るといった様に、展開の幅を大きく広げることができるだろう。一定のハマリを要する分、天井=BT突入を保証させる性能を設けることも現実的と言えそうだ。
また「パチスロひぐらしのなく頃に祭2」のようなA+ART機で純増1枚、といったタイプにも天井を付けることが比較的容易になる。
AT機と違い、A+ARTの場合はボーナスのヒキの偏りによって一定区間で得られる出玉が大きく変わる事になるため、ボーナスを引けなかった場合の出玉という部分で見ると、純増1枚の機械だと有利区間が1,500Gあっても1,500枚の出玉に留まり、上限の2,400枚には遠く及ばないことになる。これに、天井を設けて有利区間を消費しながら通常時を遊技することになれば、毎ゲーム出玉への期待感を失っていく状態となってしまうと言っても過言ではないだろう。
そのため今までの6号機A+ART機に関しては、通常時=有利区間という機械はなく、ボーナス当選及びRT状態移行による周期CZ突入で有利区間に移行し、そこでARTの当選とならなければ有利区間はリセットされる仕組みになっている。そうしてART当選時は常に1,500G近い有利区間を保持した状態で開始する仕様としていた。
しかし有利区間が3,000Gになれば、仮に天井を1,000Gとしても有利区間は残り2,000Gあるため、純増1枚の機械でも少なくとも2,000枚までは見込めることになる。また通常時=有利区間であればART当選の低確・高確といった状態も設けられる様になるため、5号機のゲーム性に近い作りを再現することが可能となりそうだ。
変異株ウイルスが中心となり新型コロナウイルス感染拡大の第4波は「3度目の緊急事態宣言」となった。パチンコ業界の苦境は続くが、ぱちんこ機が比較的順当に推移している点をみれば、パチスロ不況の原因は「有利区間リミット」にあるのは間違いないだろう。
今回、1,500Gから3,000Gになった点をまずは歓迎したい。今後さらに「メダルレス遊技機」を含めた有利区間G数完全撤廃、さらには最終的に「2,400枚リミット」が緩和されることが、遊技者がパチスロへ戻るキモとなるのは間違いない。いつの日か「パチスロ完全復活!」という声が聞こえるのを心待ちにしながら、今回はこのあたりで筆を擱くことにしたい。
(以上)
■ プロフィール
鈴木 政博
≪株式会社 遊技産業研究所 代表取締役≫立命館大学卒業後、ホール経営企業の管理部、コンサル会社へ経て2002年㈱遊技産業研究所に入社。遊技機の新機種情報収集及び分析、遊技機の開発コンサルの他、TV出演・雑誌連載など多数。