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【平成の名機-パチスロ編②-】大量リーチ目、技術介入時代へ

投稿日:2019年4月28日 更新日:

30年余り続いた『平成』が終わり、時代は『令和』に移り変わろうとしています。そんななか、本誌編集部では平成のパチンコホールを支えた、そして多くのファンから愛された平成の名機たちを記録として残しておくべきだと考え、「平成-名機の軌跡-」を企画いたしました。

記事は、過去から遡る形で全17回(パチンコ9回、パチスロ8回)。機種の解説とともに当時の遊技機市場の状況を振り返っていきます。

パチスロ編②では、「大量リーチ目」「リプレイはずし」を搭載した4号機初期の名機を紹介します。パチスロの販売会社で構成される回胴遊商が設立されたのもこの頃です(平成6年)。

チェリーバー

エレクトロコイン(現 エレコ)(4号機)
平成4年(1992年)導入

『リプレイはずし』が見つかり攻略も新時代へ!!

4号機初のパチスロ機。3号機との変更点の一つ「BIG中の小役ゲームは期待値方式」の盲点を突いた『リプレイはずし』が発見された機種でもある。

ボーナスはBIGとチェリーボーナスと呼ばれるシングルボーナスの集中役のみ。4号機になって、集中役はかなりマイルドになり、本機の集中役もおまけ的な存在であった。

一方、4号機から「ボーナス告知機能」の搭載が可能になったことを受けて、本機はバックライトのフラッシュによりBIGを告知。実は筐体にも告知ランプが搭載されていたが、モーニング対策でランプの電球が外されているホールが大半。今では信じられないが、4号機当初は告知ランプがあまり受け入れられない時代でもあった。

ニューパルサー

山佐(4号機)
平成5年(1993年)導入

伝統のリーチ目が進化!!カエル絵柄も加わり大ヒット!!

本機は3号機のスーパープラネットと同様、テーブル制御による多彩な出目が特徴。4ケタにも及ぶリーチ目が存在する。リーチ目の形は山佐伝統の複雑な要素の他に、「ゲチェナ(右下段にチェリー付きの7停止なら小役ハズレでリーチ目)」や「チェリー+ボーナス絵柄のハサミ」といったわかりやすさも加わった。

また、新キャラとして『カエル』をBIG絵柄として採用。前作の土星は小役だったのに対し、揃えばBIGで、リーチ目としても活躍することもあり、長年愛される山佐の顔ともいえるキャラとなった。

本機の販売台数は約20万台をゆう超え、「パチスロ北斗の拳」が登場するまで歴代トップの販売台数を誇った。

トロピカーナ

メーシー販売(現 メーシー)(4号機)
平成5年(1993年)導入

業界初のBタイプ、当たりやすくて遊べる設計!!

業界初のBタイプとして登場。Bタイプの特徴は「BIG中のボーナスゲームが2回以下であること」。本機のBIGもボーナスゲームが2回である。そのため、BIG1回の獲得枚数は約270枚。小役ゲームは期待値方式であるため、運が良ければ300枚以上獲得することもあった。

BIGの獲得枚数が少ない分、ボーナス確率をAタイプの2倍までアップさせることができたのもBタイプの特徴の1つ。実際のBIG確率は1/186〜1/131。全体的にAタイプよりも少投資で遊べるような設計になっていた。

BIG成立はチェリーバーと同様、バックライトのフラッシュで告知。当選回数が多い分、フラッシュ告知を短時間で何度も楽しむことができた。

クランキーコンドル

ユニバーサル販売(現 ユニバーサルエンターテインメント)(4号機)
平成7年(1995年)導入

リプレイはずしで平均410枚獲得!! 技術介入性を象徴する機種に!

リプレイはずし自体は4号機当初から存在したが、その普及に大きく貢献したのが本機である。その要因は効果の高さ。BIG1回で平均約410枚獲得できた。手順はやや難解だったが、それさえ覚えてしまえば、目押し自体は極端に難しくなかったため、それまで技術介入性に関心がなかった人まで打つようになった。

さらに、通常時も小役を全てカバーする打ち方を実践することで、設定1の出玉率が100%を超えることもあり人気に。ここから技術介入性の時代に入る。

テーブル制御を用いた大量リーチ目も秀逸。多彩なリーチ目とともに、「上段青7テンパイの2確目」や「小役ハズレでリーチ目」といった独自の出目法則も人気となった。

タコスロ

瑞穂製作所(現 ミズホ)(4号機)
平成8年(1996年)導入

Aタイプ最上級の技術介入性がビタ押しユーザーを虜に!!

本機の大きな特徴は技術介入性の高さにある。BIG中のリプレイはずしと通常時の小役狙いを完璧にこなすと、設定1でも約106%の出玉率があると言われた。

その反面、「クランキーコンドル」よりも間違いなく目押しが難しい機種であった。通常時はメイン小役のプラムも取りこぼす可能性があるうえ、BIG中のリプレイはずしは『ビタ押し』が要求された。しかし、それがビタ押しユーザーを焚き付けた面もある。目押し力を発揮できるということで、「我こそは!」という人が当時は少なかった等価交換のホールに押し寄せた。

出目の方は大量リーチ目タイプではないが、ボーナス成立後は4コマスベリが多発。この大きなスベリも人気の要因となった。

まとめ

期待値方式の副産物『リプレイはずし』が市民権を獲得した4号機初期

「リプレイの義務づけ」によって通常時がダラダラしたり、「集中役のパンク率アップ」によって、出玉の一撃性が抑えられたりと、3号機から4号機になった当初はネガティブな要素ばかりが目についたと記憶しています。「BIG中の小役ゲームは期待値方式で抽選」という部分も、当初はこれが何を生み出すのか予想もつきませんでした。しかし、この期待値方式の副産物が『リプレイはずし』となったわけです。

最初にチェリーバーで『リプレイはずし』が発見された時は一部のマニアが実践していただけ。私が感じるに、BIG1回で増えるコインが20〜30枚だったのが良かったように思います。はずし効果がこれくらいなら、設定を1つ分上げるだけに収まるため、ホール経営に支障を来すことはない=リプレイはずしが潰されることはないだろうと予測できたからです。

それが「クランキーコンドル」の登場で、リプレイはずしが市民権を得ることになります。その後に出る機種は、はずしコマ数や手順、増える枚数などがチェックされるようになりました。

そんな中で登場したのが「タコスロ」です。これは”メーカーからの挑戦状”にしか見えませんでした(笑)「ビタ押しをやれるものならやってみろ」ということです。私はふるい落されたクチですが、名機になるくらいですから、できる人は結構いたということですね。この辺りから、メーカーもリプレイはずしありきで機種作りするようになってきたと記憶しています。

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■プロフィール
元チャンピオン木崎
平成4年(1992年)にパチンコ・パチスロ攻略誌の編集部に入社。入社1ヵ月後に出場した人気番組「TVチャンピオン」の「第1回パチンコ大会」で優勝。「チェリーバー」で、リプレイはずし攻略を最初に発見する。4号機が撤去されるまではパチスロの編集を専門にしていたが、その後はパチンコの編集も。現在はパチンコ・パチスロライターとして活動。

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