【平成の名機-パチンコ編①-】平成の始まりはパチンコ業界盛り上がりの始まり!

30年余り続いた『平成』が終わり、時代は『令和』に移り変わろうとしています。そんななか、本誌編集部では平成のパチンコホールを支えた、そして多くのファンから愛された平成の名機たちを記録として残しておくべきだと考え、「平成-名機の軌跡-」を企画いたしました。

記事は、過去から遡る形で全17回(パチンコ9回、パチスロ8回)。機種の解説とともに当時の遊技機市場の状況を振り返っていきます。

パチンコ編①では、一発台や羽根モノといった昭和からあるアナログ機にとどまらず、カラー液晶機のパチンコ台も登場した、正に新しい時代を感じさせる平成初頭の名機を紹介します。

ジャスティ

西陣
平成2年(1990年)導入

飛び込みと振り分けがアツい一発台!

昭和後期に市民権を得た一発台は、平成になっても進化を続けてヒットを飛ばしていた。その代表機が『ジャスティ』である。

まず狙うのは天下。かまぼこ状の中央に溝があり、そこが窓式飛び込み口となっている。玉の勢いが弱いと届かず、強いと通り過ぎてしまうため、程よい勢いが必要だ。

飛び込み口に入った玉は、その下の1つ穴クルーンに導かれ、数秒から十数秒くるくると回った後、回転体に向かって落下する。回転体には穴が3つあり、赤く縁取られたV穴に入れば見事大当たり。一見3分の1だが、落下した玉は中央に停止しなければ役モノの外に放り出されてしまうため、実際の振り分け率は1/4〜1/5である。

入りそうで入らない飛び込み口にヤキモキし、V穴の位置を確認しつつクルーンで回る玉に「まだ落ちるな」などと念じ、ほぼドンピシャのタイミングで落下した玉に「止まれ!」と願う、喜怒哀楽が詰まった一発台だった。

麻雀物語

平和
平成3年(1991年)導入

カラー液晶&連チャンデジパチの元祖!

大当たりやハズレを表示する部品がドラム、ドット、7セグが主流だった時代に登場した革命機。業界初のカラー液晶を用いており、図柄は麻雀牌のピンズと字牌という画期的なものだった(7ピンの向きが本物の麻雀牌と異なるのはご愛嬌)。

リーチアクションを起こすし、大当たりになると女性が登場して脱衣麻雀が始まる!「脱衣」はあくまでもオマケだが、常識破りの表示機能に誰もが驚かされた。

見た目にインパクトがあっただけでなく、保留玉連チャンという大きな特徴もあった。大当たり確率は1/240で出玉は約2,300個なのだが、大当たり終了後の保留玉に限り1/16で再び当たる。保留玉はまず間違いなく4個あるので、連チャン率は約23%にも上るのだ。

カラー液晶と保留玉連チャンという2つを武器に、爆発的なヒットを記録。この機種がなければ、現在のパチンコは全くの別物になっていたかもしれない。

ニューモンロー

西陣
平成3年(1991年)導入

おっぱいポロリンで大量出玉の人気羽根モノ

1991年は、パチンコの法規が大きく変わり、新しいタイプのマシンが続々と登場した年である。

大まかに言えば、デジパチは規制が強化され、羽根モノは逆に緩和された。

そんな中で大ヒットした羽根モノが『ニューモンロー』である。従来機はどんなに運が良くても1回の大当たりで800個程度しか出なかったのだが、この機種は約2000個!大量出玉に魅了されるファンが続出したのだ。

その代わり、初当たりを射止めるのはかなり難しい。1チャッカー入賞で当然羽根が1回開くのだが、玉が拾われてもまずもってVゾーンに入らない(連続入賞ならチャンス)。肩のGOチャッカー入賞で2チャッカーである電チューが開き、ここに入れば羽根が2回開く。この時の1回目で拾われた玉が、高確率でVゾーンに入るのだ。

大当たりになると、役モノのモンローちゃんが水着になって玉を停留し、解除時にスッポンポンになって超高確率で継続する。こういった遊び心も人気の一因だった。

フィーバーパワフルIII

SANKYO
平成4年(1992年)導入

液晶表示と夢夢ちゃんが斬新な連チャン機!

平和から遅れること約1年、SANKYOが送り出したカラー液晶デジパチが『フィーバーパワフルIII』だ。

画面は9分割されており、一直線に7が並ぶか(縦・横・斜めの8ライン)、9マスすべてがフルーツ図柄で埋め尽くされる「オールフルーツ」で大当たりとなる。

7でリーチアクションが発生するのは右上、左下、中央のいずれかで、いずれもメロンの次に7が配置されているため、「メロンを越えろ!」とアツくなれるようになっていた。

「オールフルーツ」の場合はリーチアクションが発生するのは中央のみで、フルーツ図柄が5つもあるため単純にアツくなれた。

また、ヒロインの夢夢ちゃんは愛らしいだけでなく、「SANKYOです。よろしくね」「ラッキー、チャチャチャ!」など、様々な声を発することでも話題になった。パチンコ界を代表する、今なお人気のオリジナルキャラクターだ。

大当たり確率は1/240、出玉は約2,300個と『麻雀物語』と同じ。ただし意図的な連チャンは保留2〜4個目となっており、連チャン率は約18%と若干低い。その分、甘めの調整が期待できた。

たぬ吉くん2

京楽産業(現 京楽産業.)
平成4年(1992年)導入

大当たり時に「V」が出れば一気に打ち止め!

デジパチは連チャンするのが当然という時代、ついに羽根モノにも『たぬ吉くん2』という連チャン機が登場した。

大当たり時のデジタル表示「×」で1R、「ハート」で2R、「クラブ」で3R、「ダイヤ」で4R、「スペード」で5R、そして「V」なら15Rの継続がほぼ保証されるという、一見すると単なるラウンド振り分けタイプ。

だが、いったん「V」が出れば、パンクさえしなければ計4連続で「V」が出るのだ! 1R=100個と考えて良いので、15Rで1500個、これが4連チャンするので6000個、通常時に打ち込む玉を考慮しても打ち止めまで一気に出ることが多かった(当時、羽根モノは「4000個定量」が主流)。

初当たりで「V」が出る確率は1/17。4,000個マイナスになる前に17回当たる台なら理論上はプラスになるので、計算は立てやすい。ただし、クセが悪くてパンクが多発する台もあり、そういう台に限って役物入賞が甘いことが多く、注意が必要でもあった。

まとめ

平成の始まりはパチンコ業界の盛り上がりの始まりでもありました。

高校を卒業したばかりの私は、大人の階段をのぼるべく興味本位でホールの中に入り、当時主流だった羽根モノのシマに百円玉を入れたのですが…これが人生の誤りだったのかなぁ?

初めて打った機種は平和の『ビッグシューター』だったのですが、玉の動きの面白さに魅せられ、それからは日々、千円札を握りしめてホールに入り浸る日々。さらにパチンコの勝ち方を覚えちゃったのがトドメとなり、大学にも行かず毎日がパチンコ三昧。しかも、新たな玉の動きの羽根モノや、初のカラー液晶搭載デジパチなどなど、まあ革新的な機種がいっぱい登場!

そりゃハマるってもんで、おかげで現在につながる、鉛色のパチンコ人生が始まっちゃいました。

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■プロフィール
青山シゲキ
1991年、高校卒業後にパチンコにハマり、5年間のパチプロ生活を経て某パチンコ雑誌編集者へ。編集長として数百冊のパチンコ攻略誌を世に出す傍ら、パチンコ番組や漫画の監修、情報屋、新台コンサル、パチ台専門カメラマンなどなど、パチンコ業界の何でも屋として活躍中。現在47歳。

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