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【平成の名機-パチスロ編①-】2号機から始まった平成パチスロ史

投稿日:2019年4月27日 更新日:

30年余り続いた『平成』が終わり、時代は『令和』に移り変わろうとしています。そんななか、本誌編集部では平成のパチンコホールを支えた、そして多くのファンから愛された平成の名機たちを記録として残しておくべきだと考え、「平成-名機の軌跡-」を企画いたしました。

記事は、過去から遡る形で全17回(パチンコ9回、パチスロ8回)。機種の解説とともに当時の遊技機市場の状況を振り返っていきます。

パチスロ編①では、今のパチスロ機にはない小役やシングルボーナスの集中役を搭載した2号機・3号機の名機を紹介します。

アラジン

ニイガタ電子(2号機)
平成元年(1989年)導入

アラジンチャンスの破壊力に熱狂!!

シングルボーナスの集中役「アラジンチャンス」の一撃性が特徴。設定差は集中役だけについており、その突入率は1/5957~1/648と大きな差があった。

集中役に入ると、パンクかBIG当選までシングルボーナスが高確率で揃う。平均約265G継続し、約1,000枚の純増が見込めるが、運が良ければさらなる大量獲得も期待できるとあって、熱狂的なファンを集めた。この出玉力もあって、アラジンシリーズは波の荒い機種として認識されるようになった。

また、集中役成立中は左リールだけに止まる単チェリーの確率もアップ。これはBIGやREG、まれに通常時にも出現するため、単チェリーが出ただけで「何か来たか!?」と色めく作りになっていた。アツい出目としての源流ともいえる。

スーパーバニーガール

オリンピア(2号機)
平成2年(1990年)導入

中段チェリーとズレ目で超ロング稼働!!

現在でも「中段チェリーは激アツ」として扱われることが多いが、その元祖ともいえるのが本機。本機の中段チェリーはボーナス1確目だった。

通常時は何かしらの絵柄がテンパイするようになっていたが、その形が崩れた「ズレ目」が停止すると、ボーナスのチャンス。次ゲームは左に中段チェリーを狙うというのが定番の流れ。

また、ボーナスの他にフルーツゲームと呼ばれる小役集中があった。小役集中は5Gか60Gの2種類あり、60G継続で平均約180枚純増。ボーナスとかみ合えば、急激にコインが増えていった。

本機の人気は4号機時代に入っても継続。ホールによっては、2006年のみなし機撤去まで設置されていた。実に16年もの間、ファンを楽しませ続けてきたことになる。

コンチネンタルⅢ

メーシー販売(メーシー)(3号機)
平成2年(1990年)導入

セブンラッシュと出玉力とリーチ目出現時の高揚感が魅力!!

シングルボーナスの集中役である「セブンラッシュ」でコインを増やすゲーム性。2号機から3号機となり、射幸性を抑えるためパンク確率は1/300以上という規則が設けられた。本機のパンク確率も1/299である。そのため、平均獲得枚数は約800枚となった。

一方で、セブンラッシュの当選確率は1/3682~1/676。集中役の一撃性は落ちたものの、幸運ならば数千枚ものコインを獲得できた。

また、赤7と黄7の一直線が出ればリーチ目に(シングル入賞時は除く)。これはBIG、REGの他、セブンラッシュ中でも発生するため、リーチ目出現時のワクワク感は最高潮に。このリーチ目の存在も人気の要因となった。 

スーパープラネット

山佐(3号機)
平成2年(1990年)導入

伝統の大量リーチ目とフルーツゲームでノーマル機でも絶大な人気に!!

テーブル制御による山佐伝統の大量リーチ目が特徴。キャラ絵柄は土星。当時はインターネット等も普及していなかった時代。人が知らないリーチ目を覚える喜びがファンの心をくすぐった。また、ボーナス告知もついていなかったので、たくさん覚えることが無駄なコインを防ぐことにつながり、「捨てたリーチ目を拾う」という攻略的な意味合いにもなった。

BIG後はフルーツゲームと呼ばれる小役の高確率状態に突入。平均約35Gの間、コインがほぼ現状維持というもので、現在のプチRTの元祖ともいえる機能だった。

スペック的にはAタイプ仕様で、波は穏やかな部類。3号機は裏物が数多く出回っていたが、ノーマル機として絶大な人気を誇り、約13万台を販売した。

ミラクル

尚球社(現 岡崎産業)(3号機)
平成3年(1991年)導入

MAXBETと期待値方式を初めて搭載!!

今は当たり前に装備されているMAXBET機能。これを初めて採用したのが本機である。MAXBETは当時、尚球社だけの機能だった。他メーカーは4号機に入っても、しばらくの間はBETボタンを3回押さないと3枚掛けにならなかった。

もう1つの特徴がBIG中の期待値方式の採用である。BIG中はほぼ毎ゲーム15枚役が成立。右リールを目押ししないと揃えられないようになっていた。4号機のようなリプレイはずしはなく、小役ゲームは10G、15G、20G、25G、30Gの中から均等に抽選。10Gだと約350枚だが、30Gが選ばれれば約550枚の純増。平均でも約450枚の純増に。他機種のBIGがほぼ360枚だったことを考えると、当時としてはかなりの出玉性能。4号機の大量獲得機の源流ともいうべきゲーム性だった。

まとめ

破壊力重視か堅実派に分かれた2号機!! 3号機時代は裏物が続出!!

2号機時代は小役やシングルの集中役が搭載可能とあって、多彩なゲーム性を持った機種が登場しました。ざっくり分けると大量獲得系か穏やか系かということになります。

大量獲得系では設置台数が多かった「アラジン」が目立っていました。この頃のナンバーランプは店員を呼ぶだけの機能しかありませんでしたが、ホールによっては台の上にシングルが続けて入ると回り始める仕組みのパトランプがついていました。「アラチャンに入ったか!?」という合図です。ただ、偶然続けてシングルが揃っても回るので、ぬか喜びで終わるケースも多数ありました。

穏やか系の中には、平均約180枚出る小役集中を搭載した機種もいくつかあったので、そういう機種はボーナスだけでなく小役集中との絡みが期待できました。

一方で、BIGのセット打法が発覚。そういった直接的な攻略法がまれに出る時期だったので、新機種導入時はゲーム性と攻略法の有無を探すという2つの視点で機種を見ていたように思います。

3号機時代に入ると、小役集中が禁止され、シングルの集中役もパンク率がアップ。出玉力もゲーム性も乏しくなったので、裏物化やいわゆるRAM注射される機種が続出。これが問題視され、基板改修や検定取り消しにつながっていきました。

ただ、3号機の裏物はただ荒いだけでなく、ゲーム性に特色のあるものが多かったので、個人的には1つのスペックとして楽しみながら打っていました。ただ、今振り返ってみると「だいぶ踊らされていたなあ」という思いはあります。

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■プロフィール
元チャンピオン木崎
平成4年(1992年)にパチンコ・パチスロ攻略誌の編集部に入社。入社1ヵ月後に出場した人気番組「TVチャンピオン」の「第1回パチンコ大会」で優勝。「チェリーバー」で、リプレイはずし攻略を最初に発見する。4号機が撤去されるまではパチスロの編集を専門にしていたが、その後はパチンコの編集も。現在はパチンコ・パチスロライターとして活動。

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