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【特別寄稿】パチンコ産業の歴史⑪ 国家公安委員会規則の改正と「パチスロ3号機」(WEB版)/鈴木政博

投稿日:2023年2月8日 更新日:

創刊60周年記念にあたり、業界の歴史を振り返る意味に おいて「パチンコ産業の歴史シリーズ」を再掲載しています。 ※この原稿は2011年3月号に掲載していた「パチンコ産業の 歴史⑪」を一部加筆・修正したものです。

1. パチスロ2号機から規則改正で3号機へ
1990年の規則改正で、パチンコは「一発台」や「おまけチャッカー付きデジパチ」などの「開放した入賞口以外への遊技球の入賞が容易になるもの」が禁止されたことは前回書いた。ただし、デジパチに関しては「おまけチャッカー禁止」の一方で「最大10ラウンドから16ラウンド」に緩和されたため、実質的には大きな打撃を受けなかった。それどころかハネモノは「最大8ラウンドから実質15ラウンド」へ、権利物も「最大8ラウンド×3回セットから、16ラウンド×3回セット」へ変更されており、1990年の規則改正は規制強化部分もあったものの、パチンコについては実質「大幅緩和」であったといえる。

一方パチスロはどうだったか。パチスロが0号機時代を経て1985年に初めて「回胴式遊技機」として風適法に記載され、1号機が登場したものの不正改造が相次ぎ、不正改造対策を取り入れた「1.5号機」が登場するまでの経緯は昨年7月号「パチンコ産業の歴史④」に記した。

1988年には「2号機」が登場する。2号機は「貯留(クレジット) 50枚まで搭載OK」や、BB中のRB回数で「Aタイプ(RB3回)・Bタイプ(RB2回)・Cタイプ(BB非搭載)」の新ジャンル分け、「小役およびシングルボーナスの集中OK」などの大幅緩和に合わせ「1ゲーム4秒以上」、「ボーナス純増最大350枚」、「吸い込みや天井方式の禁止・完全確率方式の採用」などの規制もあり、パチスロは大きく変化した。特に「完全確率方式」は1号機時代の連チャンを禁止するもので、2号機として初期に登場したアークテクニコ製の連チャン機「アニマル」は、後に実質的には完全確率方式ではないことが発覚し、ホール登場から数ヵ月後に「アニマルG」として基板変更されるなどの措置が行われている。この「完全確率方式」の採用により、いわゆる連チャン機はホールから姿を消し、Aタイプは人気を落としていく。

一方で新たに緩和されたゲーム性である集中役に人気が集まった。フルーツの集中では高砂電器産業製「ウィンクル」やオリンピア製「バニーガール」が、また大量獲得が可能な集中役搭載機として尚球社製「チャレンジマン」が、シングルボーナスの集中では北電子製「ガリバー」やニイガタ電子精機(当時はサミー系企業)製「アラジン」などの集中役搭載機が人気を博した。

そんな中で行われた、1990年の規則改正。パチンコにとっては緩和要素の多かったこの改正も、パチスロにとっては規制色の強い内容だった。2号機で人気だった集中役については「シングルボーナスのみOKで小役の集中は禁止」となり、さらに「集中役は300分の1以上の確率でパンクすること」となって、期待獲得枚数は大幅に減ることとなる。またゲーム数についても「1ゲーム4.1秒以上」と若干の修正が加わった。そして、このように規制が強化されたパチスロ3号機は以降、思わぬ方向へ向かう事となる。

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