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【特別寄稿】パチンコ産業の歴史㉓ 2004年規則改正と風適法の歴史(WEB版)/鈴木政博

投稿日:2024年3月14日 更新日:

1. 検定取り消し処分と規則改正案
2003年10月1日、鳥取県公安委員会にて(株)ミズホ「ミリオンゴット」、(株)ロデオ「サラリーマン金太郎」、サミー(株)「アラジンA」の3機種が検定取り消し公示された。これを皮切りに、この検定取り消し処分は全国に波及していく。

そしてその10日後の2003年10月10日、警察庁より「規則改正案」が業界団体・マスコミへ発表された。前回に詳細を記したが、日電協による自主規制区分リスト「4.0号機(10,000枚)、4.1号機(20,000枚)、4.5号機(自主規制後)、著しく射幸性が高いと認められる遊技機(30,000枚)」といった自主規制や、「ミリオンゴッド」「サラリーマン金太郎」「アラジンA」が検定取り消し対象となる可能性があるとして自主撤去へ動いた等の自浄努力もむなしく、結果として「検定取り消し処分」が下されたものであり、この警察庁より提示された「規則改正案」は当然のごとく、極めて厳しい内容となっていた。

さてこの「規則改正」だが、正確には「遊技機の認定及び型式の検定等に関する規則」という国家公安委員会規則第四号の改正を指す。通常は、合わせて「技術上の規格解釈基準について(通知)」や「技術上の規格 質疑応答集」なども改正される。

この規則改正は、過去の流れを見るとおおむね10数年スパンで改正されている。直近では2018年2月1日に、ぱちんこ遊技機においては払い出しで一度の大当たりにつき最大2,400個(16ラウンド)だったものが1,500個(10ラウンド)へ、パチスロも同じく、ビッグボーナス1回での最大払い出し枚数を300枚までに収めるため「285枚を超える払い出しで終了」と改正されたのは記憶に新しい。それでは今回は、この「規則改正」の歴史を少し紐解いてみたい。

2. 風営法について
規則改正の歴史を見る前に、まずはその根源となる法律について振り返ってみる。大元となる「風俗営業取締法」が制定されたのが1948年7月10日。ここに1954年から「ぱちんこ屋」が追加され、この業界としてはこの法律が法的根拠となった。ちなみにこの1954年は東京都公安委員会が「連発式ぱちんこ」の禁止を決定した年であり、ここから全国的に連発式が禁止され、さらには「賞球20個」も禁止されていく流れが始まった年だ。そういう意味では、この1954年がパチンコ業界の法的規制が始まった元年といえるかもしれない。

この「風俗営業取締法」は1959年4月1日に「風俗営業等取締法」と名前が微修正され、さらには1984年8月14日の大幅改正に合わせ「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」と大きく名前が変わって翌1985年2月13日に施行され、現在に至る。いわゆる「風営法」から「風適法」へ変わった年だ。

ちなみに1985年に「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」となったことに合わせ、同年1月11日に「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行規則」が、同年2月12日に「遊技機の認定及び型式の検定等に関する規則」が施行、さらにはこれら法律、規則に合わせ国家公安委員会から遊技機試験及び型式試験の指定試験機関として指定を受けたことに伴い、同年2月より「一般財団法人 保安電子通信技術協会(保通協)」が遊技機の試験業務を開始する。したがって現在のこの状況は、この1985年2月から始まったといえるだろう。

3. 規則改正の歴史
こうして1985年から始まった、現行体制の風適法とその施行規則および遊技機規則だが、最初の大幅改正は1990年に行われた。背景としては、いわゆるデジパチが最高10ラウンド、最大10カウントで賞球13個、大当たり1回の出玉上限はセーフで1,300個と規制されていたにもかかわらず、アタッカーが開放することにより「アタッカー内に拾う」以外に「アタッカーの先端にはじかれた玉が他の入賞口に入りやすくなる」ということも含めて2,000発以上、機種によっては6,000発近くまで一度の大当たりで出てしまう「おまけチャッカー」が大流行していたこと、同じく「普通機」でありながら、特定のチューリップ等が開くことにより、そのチューリップの先端にはじかれた玉が他の入賞口に入りやすくなり、結果としてチューリップが閉じるまでは玉が出続けるという「一発台」も大流行していたことによる。「おまけチャッカー」「一発台」ともに、保通協で型式試験を受けた釘の状態から、大幅に釘を曲げて改変する必要があった点が特に問題視された。したがって1990年8月31日の改正では「役物が作動した場合に当該役物の作動により開放等が生じた入賞口以外の入賞口への遊技球の入賞が容易にならないこと。」という文面が追加されている。ただし、この時の改正では規制強化だけでなく緩和もあった。景品の上限が1万円となったり、フィーバー機は10カウント自体は変わらずとも最大16ラウンド、賞球15個となって実質セーフ2,400個となったり、ハネモノも上限8ラウンドから実質15ラウンドになるなど、大きく変化した。

またパチスロも1985年から始まった1号機を皮切りに、その不正対策機1.5号機を経て1988年からは2号機となっていた。クレジット50枚搭載や4.0秒のウェイトなどに合わせ、2号機として登場したフルーツゲームやシングルボーナスの集中役が射幸性が行き過ぎではないかとの懸念が広がっており、この1990年の改正からパチスロは3号機時代に突入することとなる。

4. 検定取り消し処分から規則改正へ
そしてその後に今回、触れている2004年の規則改正へ向かって行くわけだが、パチスロは以前お伝えした通り、「CT」から「大量獲得機」、さらには「AT」「ボーナスストック機」と歯止めなく射幸性が高まり、最終的には検定取り消し事案が発生。極めて厳しく規制強化されることが予想された。

それではこの間、パチンコはどうだったかといえば、1990年の規則改正以降、いわゆる処理オーバーエラーによる「保留玉連チャン機」が問題視、さらにはそれに代わり人気を博し始めたCR機の2回ループ仕様も同様に射幸性が問題視され、ついには1996年に高射幸性機種が「社会的不適合機」としてリスト化され一斉撤去。加えてパチンコには「1回ループ+5回リミッター」という日工組内規が設けられ、冬の時代に突入していた。リミッターこそ1999年には撤廃されたものの、やはりこの時期は自主規制によりパチンコが非常に低迷していた時代であり、そうした状況からの2004年の規則改正では緩和が求められていた。実際に、この改正においてパチンコについては「一種・二種等の種別撤廃」など緩和材料が多く、以降多種多様なパチンコが発売されパチンコが復活し人気を博すこととなる。

ここまでの規則改正の歴史をまとめると、1985年2月12日に「遊技機の認定及び型式の検定等に関する規則」が施行されたのが発端となり、最初の規則改正が1990年8月31日と、ここは5年後に行われているものの、次の規則改正は2004年7月1日と14年後。そしてさらに次の規則改正は2018年2月1日と、こちらも14年後だ。おおまかな流れを振り返るに、次の規則改正があるとすれば、その時期は早くて10年後であれば2028年ごろ、もし前例通り14年後であれば2032年ごろと推測される。

現在、たとえば「パチスロAタイプの獲得枚数」などについて緩和を求める声も出ているが、これは規則改正が必要な項目だ。規則改正が10数年スパンで行われてきた歴史を見るに、そう簡単に迅速には緩和とならないことは推測するに難しくないだろう。

それでは、具体的にはこの「規則改正」はどのような流れを踏んで行われるのか。次回はこの点を掘り下げてみたい。

(以下、次号)

■プロフィール
鈴木 政博
≪株式会社 遊技産業研究所 代表取締役≫立命館大学卒業後、ホール経営企業の管理部、コンサル会社へ経て2002年㈱遊技産業研究所に入社。遊技機の新機種情報収集及び分析、遊技機の開発コンサルの他、TV出演・雑誌連載など多数。

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