●CRAナカムラのぱちんこ泰然自若246
はい皆様、今週もやって参りました木曜日!お待ちかねのナカムラちゃんでございます!
実はここ最近、パチンコからちょいと離れて「とある温泉旅館」のお手伝いをしておりまして…それがまた完全に昭和で時代が止まったような運営体制からの脱却という事で四苦八苦の毎日でございます。
料理担当の小野寺純さん見てる~?いぇーい♪
↑「俺のことを書いて!」と言われたのでww
さてさて、旅館の事はまたタイミングを見て書かせてもらうとして、今日は人と話しててふと思い出した、ちょっと面白い話を書かせてもらいましょうそうしましょう。
若い世代の皆様は「ポケベル」ってご存知だろうか?まだ携帯電話が普及する前に、ほんの数年だけ天下を取った通信機器…こいつの登場により、女の子の家に電話する時に一番恐れていた事、そう!
(父・ω・)「チミはうちの娘とどういう関係なのかね?ん?」
に怯えなくてよくなるという、世の中の性少年達の救世主とも言える、驚愕の科学進化を成し遂げたのだ。
もちろん大学に入ったばかりのナカムラ少年も、この最新鋭の文明の利器を手に入れて活用していたのだが…この当時の進化は凄まじく、ポケベルの栄華は1~2年で終焉を迎える。
ポケベルと平行して携帯電話と呼ばれるモノは存在していたのだが、いかんせん当時の携帯電話は肩掛け式の重さ数キロある代物で、持ち歩く姿はまるで戦時中の通信兵のようだった。
しかしここからの進化が凄まじく、通信兵スタイルからパカっと開くケータイになるまでほんの数年、値段も初期費用30万&月10万から初期費用ゼロ&月に数千円になるまでもソッコーだった。世の中の変化の目まぐるしさは相当だったのだ。ナウなヤングには分からないだろうが、ほんとチョベリバだ。
同時期にパチンコ業界でも、ファミコン画質の液晶機に「ついにパチンコにテレビがついた!」と驚愕し、そこから画質がどんどん向上していくのだが、やはり一つの区切りになったのは初代ギンギラパラダイスだね。
潜望鏡をモチーフにした超美麗液晶(当時にしては)に、波打つステージが玉を運ぶ目新しさ…なんだが実はこの波の役物、ちょっと前に出た羽根モノ「ジェットスキー」からの部品使い回しだという事実は内緒だぞ。
で、当時のパチンコ台は検定期間上等!みなし設置あたりまえ!な感覚だったので、人気機種ともなれば勝手に店長オリジナルの修理をされて、ハゲた盤面にプラ版貼られてたり三洋の機種なのに風車が西陣だったり、そんなのも日常茶飯事で完全に壊れきらない限り、7年でも10年でも設置されてる機種が多数あった。
しかし、ここでやっと話がクロスオーバーするワケだが、パチンコ台が製造された当時には全く想定されていない「通信機器の干渉」が問題になった事があった。それが初代ギンパラで、発売当時は携帯電話なんて世の中に無かったのに、ロング稼働しているうちに世の中が大きく変わって、大学生でも携帯電話が持てる時代になったのだ。
実はこの初代ギンパラに使われている入賞センサーが、携帯電話の電波で誤作動を起こす事が判明する。どいうことかと言うと、携帯電話を上皿に乗せて電話を発信(着信でもOK)すると、一瞬で保留満タンになってしまう。つまり最初に500円分の玉を借りて、あとは適当に打ってるフリだけしながら発信→終了を繰り返すだけで、1000回でも10000回でも回り続けるし、ちゃんと抽選もされる。しかも、ギンパラは保留3と4でデジタルビタ止め機能が付いていたので、一回転が2秒くらいで消化され続ける親切設計ww
これを知ったのは、当時バイトしていたホールの店長から
(長・o・)「ええか、ナカムラ、絶対に悪用するなよ?するなよ?」
と、もはやダチョウ倶楽部の「押すなよ!」のノリで教えて貰ったから。ネットも無かった時代なので、こういったヤバイ情報もまわるのが遅かったのだ。
閉店後に自分とこのギンパラの前で発信してみて、たまに横の台まで回ってしまう恐怖を体感しつつも、ナカムラ少年はこう思った。
( ゚Д゚)明日休みだなーパチンコ行こうっと(棒)
つづく
CRAナカムラ
奈良・愛知・岐阜・広島で店長職を10年歴任。その後、大阪の某チェーン店で統括営業本部長職を経て独立。常に打ち手目線を持ちつつ…と言えば聞こえはいいが、この男自身パチンコするのが三度のメシより好きという重症患者。