【寄稿】娯楽なりの楽しみ方(WEB版)/大﨑一万発

僕はギャンブルをやりません。公営競技も、あるいは大きなレバレッジをかけて挑むような金融取引も苦手です。機会があれば海外カジノに出向いたりはしますが、楽しみはゲームそのものより場の雰囲気や人間観察だったりします。

とはいえ、ギャンブル自体が嫌いなわけではなく、中学生時分から麻雀や花札には長らく親しんできたし、だから自分の「向いてない性格」を痛感する羽目にもなりました。勝ったとしても必ず「もっと張っておけば…」と後悔する。負けが込むと切り替え叶わずズルズルと大敗を喫してしまう。勝っても負けても早々に集中力が続かなくなる。……アツくなりきれないというか、僕は切った張ったに漢気を賭ける勇気を持ち合わせない人間なのです。

だから僕はパチンコ・パチスロに流れ着いて、正しく娯楽として、時には手堅い投資として、この「ギャンブルではないギャンブル」に親しんできました。パチンコには「本物」とは違い、安心感の担保があります。投資スピードは常に一定、マシンスペックも公開されている。回転率や当たり方から自身の台の期待値は推測可能で、遊技時間に応じた勝ち負けの幅が推測できます。今のP機はとんでもない上振れもあるので勝ちに関しては嬉しい誤算もありますが、負けはどんだけ頑張っても1時間2万円少々を超えることはない(しかもその大半は一時の不ヅキによる負けすぎです)。百戦錬磨の敵との心理戦に敗れて、あっという間に身包み剥がされることもありません。カジノや競馬がアマゾン探検とするならば、パチンコは遊園地のジャングルクルーズ。まさに建前通りの遊技、娯楽というわけです。

という、揺るがぬ鳥瞰的リテラシーをベースに置いた上で、その日その時のささやかなお金のやり取りと確率の暴れを慈しむのがパチンコの遊び方。瞬間を切り取れば確かにギャンブルでもあるのが「ならでは」の面白さでもありますから、大敗にブチ切れたり、連チャンに狂喜したりを繰り返しながら、でも遊技した台の品質=期待値に沿った勝ち負けに収斂していく。レールから外れることのないジェットコースターのようなもので、途中ドラマがありつつも予定調和に収まるその安心感たるや……(嫌な表現をするなら夢のなさと言ってもいいでしょうか)。そんなものに時間とお金を使うなんて馬鹿馬鹿しいと考える人もいるかもしれませんが、わかっていながら愚行に及ぶゆとりを持ち合わせているのが「いい大人」。というわけで、18禁の理由もそんなところにあるのかなぁと思ったりします。

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