【コラム】姫路サルーンのお話から始まる、裏モノ体感記。/CRAナカムラ

●CRAナカムラのぱちんこ泰然自若351
はい皆様ご機嫌麗しゅうっ!まったく暑さが和らがない8月末…溶けてしまいそうな日差しに喘いでいる最中、さらに大きい台風が来るとかでバタバタしてきていますね、ちなみにこちら東北では普通〜っにどこでもお米売ってます、はい。

さてさて、今週はまた昔話の予定でしたが、ちょうど規則改正(解釈の変更)が話題になっているので、ちょっとそこに触れてみようかと思ったものの…やっぱりまだ情報が集まりきっていないまま書くと、遊技日本編集部ごと各所から叩かれるので…今週はまだヤメときましょうそうしましょう。

( ゚Д゚)ってことで結局、昔話いくよー

2010年頃までは実際に存在していた「裏モノ」というカテゴリー。この最後の砦が超有名店「姫路サルーン」だったのは、皆様ご存知だと思われる。このホールが突如クローズしたのが2010年なのだが、実際にはこの数年前の段階でサルーン系列以外の裏モノは全国でほぼ絶滅していた。

つまり、この系列の数店舗のみが数年に渡って裏モノを設置し続け、それがなぜか摘発もされず大々的に営業していたワケだ。

そこには色んな理由があるのだが、とてもじゃないがココに書けるような内容ではないので割愛させて頂く。どうしても気になる人はボクにコーヒーでも奢りながら直接聞いてくれ。

( ゚Д゚)オトナノジジョー!

実際に何度も行って、夕方までに15万負けやら数時間で万枚突破(共にジャグラー・ジェットカット込み)だったり、当日の交換を拒否されて広島←→姫路を連日往復させられたり、非常にファンタスティックでワンダホーな経験をさせてもらった記憶。参考記事↓
https://yugi-nippon.com/pachinko-column/post-41215/

ででで、実は今回そんなにサルーンを深掘りする気はなくてですね、裏モノという存在を大きく振り返りたかったんですよ。でもなんかサルーンを一点集中で掘った方が面白そ……

( ゚Д゚)アカンアカン!

て事で仕切り直し!

ナカムラ少年(当時1◯歳・高◯1年生)がパチンコという最高のエンターテインメントに出会った頃から既に「裏モノ」は存在しており、認知はしていた。が、そんなもの打てる財力なんてあるはずもなく、日々羽根モノで4000個定量を目指して釘の読み方を磨いていた。そこで小銭を貯めつつ、新装開店に並んで新台にブッ込んで勝ち逃げするのがスタイルだった。新装開店の時だけはフィーバー機や権利モノでも打つのだが、たまーに並びの順番が悪かったり当時あるあるの「横入り軍団(死ぬほどイカツイ)」に邪魔された時、新台のスロットしか取れない事があった。ボーナス図柄の目押しもままならない状況でも、当時の新台初日なんて設定6で当たり前だったので勝ててはいた…そんなある日、新装に並んでいたがパチンコの新台が取れずに流れ着いた先は、当時パネルに書いてある英語が読めなかったが…新台のトライアンフというスロット。とりあえず確保してから改めてよく見ると…

( ゚Д゚)スタートレバーが無い!

早速パニックである。本来ならば大人の社交場に居てはならない年齢が故、店員に聞く事はご法度。両サイドに座っているのは、話しかけただけで殴られそうな風貌のイカツイおっさん。詰んだ。

それでも「こんなの余裕ですよー」という雰囲気だけを醸し出し、敢えてすぐに打たずに左右のオッサンの打ち方を凝視。…し過ぎて、

(オーー;)「なんや兄ちゃん、打ち方分からんのか?」

ぎゃー!殺されるぅー!と思ったのも束の間、その熊のような風貌とは裏腹に懇切丁寧に打ち方をご享受下さる。ボタンPUSHで回るなんて斬新!

で、お礼に缶コーヒーを買いに行って熊に渡し、いざ!ナカムラ少年も打ち始め!

それが裏モノとは知らずに…

つづく

■プロフィール
CRAナカムラ
奈良・愛知・岐阜・広島で店長職を10年歴任。その後、大阪の某チェーン店で統括営業本部長職を経て独立。常に打ち手目線を持ちつつ…と言えば聞こえはいいが、この男自身パチンコするのが三度のメシより好きという重症患者。

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