創刊60周年記念にあたり、業界の歴史を振り返る意味において「パチンコ産業の歴史シリーズ」を再掲載しています。※この原稿は2011年11月号に掲載していた「パチンコ産業の歴史⑱」を一部加筆・修正したものです。
1. 5回リミッター規制の中で、演出面が向上!
1998年にパチスロ設置台数がついに100万台を超えた。CT機、7ライン機、大量獲得機など新ジャンルが次々と投入され、射幸性、ゲーム性ともに広がっていくパチスロ。一方でパチンコは依然として厳しい状況が続いていた。
要因は一点に尽きる。1996年10月1日より保通協に持ち込まれるものについて「①確率変動は次回までとすること(2回ループの禁止)」「②確率変動の突入率・継続率は2分の1を超えるものでないこと」、そして「③確率変動の連続合計値が80ラウンドを超えないこと(16R×5回)」を日工組の組合員に義務付けた、いわゆる「5回リミッター規制」だ。
出玉性能において大きくパチスロから遅れをとったパチンコ。販売台数が減少しつづけるのを食い止めるべく、液晶演出面において企業努力が始まった。当時の演出面での発展が、現在のパチンコの原点であると言えるかもしれない。
1997年5月28日。業界関連4団体である遊技業2001年会が、品川のホテルパシフィック東京にて「パチンコ・パチス口新型機発表展示会」を開催した。パチンコ機の中で注目を浴びたのは、田川寿美とのタイアップ機である京楽産業製「CR華観月X」、吉本興業とのタイアップ機である大一商会製「CR寛平笑劇場V4」だった。その後、1997年12月には10.4インチという当時最大の液晶画面を搭載したタイヨーエレック製「CR海底天国7」が、翌1998年4月に三星(現・サンセイR&D)製「CRがきデカ3」、10月に平和製「CRルパン三世K」が発売。タイアップと液晶の巨大化により、射幸性でなく演出面で楽しませる工夫が盛り込まれていった。これらは現在までに確立されたパチンコ・エンタテインメントの原点であり、そういう意味において、急激な演出面の向上は皮肉にも5回リミッター規制の功績であるともいえるだろう。