【寄稿】苦しい懐古の夏(WEB版)/POKKA吉田

人は「戻れない生き物」だということをつくづく感じる。今、本稿を書いている最中はまさに真夏というか猛暑。北海道の一般家庭にはクーラーがないのが当たり前だったのは平成の前半くらいまでか。今や北海道内でも猛暑が珍しくなく、クーラーがない家、商業施設はむしろあり得ないくらいな地位に転落しているわけだ。

ぱちんこにおいて、久しぶりにA-gonによって手打ちが復活したとき、どんなものかと何度かわざわざ遊技した。私は世代としては手打ちを経験していてはいけない年齢であるが、親父に連れられて行ったぱちんこ屋さんで何度も実は子どもの頃にやっている。さらにはその頃、街のデパートのゲームセンターのようなところで手打ちのぱちんこ(+お菓子などの景品付)に興じたこともしばしば。だから楽しめると勢い打ってみて、実際には私には難易度が高くて難しかった。はじめて電動ハンドルのぱちんこをぱちんこ屋さんで遊技したときは(この頃もギリギリ打ってはいけない年齢ですが)、それまでの手打ちとの比較で違和感を感じるくらいには手打ちの現場感はあったつもりである。たまたま私の年齢的なもの、手の動作の機敏さが欠けている等の理由かもしれないが「もはや電動ハンドルがない時代には戻れない」ことをまあまあ自覚するには十分だった。

社会的不適合機という扱いを受けた保留連チャン機などや爆裂機と呼ばれた4号機群は、既にものすごく現場感があり、ただの客としても業界関係者としてもかなり打ち込んでいた。これらの性能の良さや悪さを今もあれこれ比較し論じるような記事を書くことはあるが、この頃の遊技環境というか、遊技しようと思ってた感情を今自分の中で再現することはとても難しいようになっている。ぱちんこの牙狼や韋駄天などに思う感情とそれらとは明らかにまた違うものであり、要はあの頃には感情面では戻れないわけだ。

ホールも16割などの高い分岐割数にての営業は至難のワザであり、脱等価と言っても11割ちょっとの分岐割数がせいぜいのところ。遊技機メーカーも今さら10数万円の新台販売価格がデフォ、という状況に戻すことはできないわけだ。

個人的にはエレベーターやエスカレーターなどの「バリアフリー設備」がない時代に戻るのはとてもしんどいことだと思っている。年齢のせいか、ここ数年体調を崩すことが多かったこともあり、階段の上り降りをとにかく避けたいのだ。歩くスピードも極端に遅くなったし、そもそも運動なんてここ数年、特に困難になってきている。同じ姿勢でじっとするのも苦痛で、映画をとんと観なくなった一つの理由かもしれないし、遊技時間も短くなってきている。

業界環境も変化してきたが、原点に戻ることはなんにせよ困難な感じがしている。昭和の日本の代表的アイコンの一つはぱちんこ屋だと私は本気で考えているが、昭和のぱちんこ屋の風景を今探すのはかなり苦労するし地域によっては存在すらなくなっている。都会や地方を問わず、身近な駅や商店街などに必ずあった200台程度の小さな店はこの20年来以上の過渡期でかなりなくなっていった。必ず高割数だからと新装開店に並ぶ行列はなくなっており、入替初日に当該島を赤字割数にする営業は激減。店の行列は空打ち+出玉示唆系に委ねられることになり、店の営業上の割数計画すらも全然違う。高校を卒業したばかりの頃の私が今の世にいきなり転生したら、たぶんぱちんこ屋さんを全く別物のレジャー施設だと認識しただろう。当時の遊技客としての常識的感覚と今の店が客に提示する常識感が全く違うからだ。

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