今年2月18日に開いた取締役会で代表取締役の異動を決議した㈱藤商事。4月1日付で新たに代表取締役社長に就任した今山武成社長に縮小する市場規模や参加人口の減少など激動の業界に対し、どのように業界を牽引していくのか、その胸中を聞いた(4月26日、藤商事本社ビルにて)。
――新社長に就任されての今の率直な心境をお聞かせいただけますか?
業界の低迷は底を打ったと感じていますし、就任した以上、今は前向きに業界を盛り上げていきたいという気持ちが強いです。
――経歴を振り返りますと、1989年に入社されていますがその頃の思い出はありますか? 当時は「アレンジボール」を御社が発売し、大ヒットした時代だとか?
当時は「アトミック」や「シャトル21」などを売っていましたね。入社当時は部品の豆球を数えるところからスタートして営業に出て、泊まり込みで名古屋や福岡に長期滞在したりと大変なこともありましたが、いい思い出が多いですね。当時の上司は親父みたいな人で本当に可愛がってもらいました。
――そして2004年には東京支店長に就任されますね。翌年「CR吉幾三」が発売された頃ですが。
あれは大ヒットしましたね。現場も勢い付いていた頃で、吉幾三のCG映像など出来栄えを見たホール様からの反応も好評だったのを覚えています。
――確かに吉幾三がバズーカ砲を放つリーチは強烈でした。そして2007年に営業本部部長へ就任されるわけですが。
ジャスダック証券取引所に上場し、「CR宇宙戦艦ヤマト」や「CRリング」が発売された頃ですね。
――「CRリング」はホラーという新ジャンルに初挑戦され話題になりました。2作目もかなりの高稼働を誇っていた記憶があります。
ホラー系は好まれない風習がありましたが初代の稼働率は高く、2作目はスペックが受けて5回ほど追加販売しました。チャレンジしたいという開発側の思いが実りましたね。
――それまで営業職一筋でしたが、2013年には執行役員開発本部長へ就任していますね。
営業だけでなく開発も見てみたかったタイミングでしたので快く引き受けました。当時の開発陣には顔見知りも多く、そういった意味でも助けられた部分もあり、勉強させてもらった3年間でした。
――そして2016年には取締役営業本部長、㈱JFJの代表取締役社長を歴任されるわけですが、2020年には「Pとある魔術の禁書目録(インデックス)」が多くの人から支持されました。
「とある」は大きな期待を持って市場投入しましたが、期待以上の結果を残してくれました。国的にコロナ禍の真っ只中にあってあれだけ集客できたことにも驚きました。
――現状の経営課題は何でしょうか?
市場縮小が続く現状において、いきなり市場が300万台規模に回復するとは思っていません。いい商品を作って売ることは当然ですが、大きな経営課題はホール様での設置シェアの拡大です。いい機械が稼働し続けシェアが増えていかないことには次に続いていかないですし、優先的に進めたい課題ですね。この3年間でシェアを上げていく方針を現場にも伝えています。
――パチスロ市場に対しても同様ですか?
もちろんです。パチンコはそれなりに認知度もあると思いますが当然、パチスロでも弊社の認知度を高めていきたいと思っています。6.5号機、スマスロという市場の変わり目の時ですので注力したい事業の一つです。