【特別寄稿】パチンコ産業の歴史⑨「フィーバー機を復活させた、創意工夫」(WEB版)/鈴木政博

2. フィーバー機が再ブームへ!!
「ブラボーレーザースペーシー」以降、各社から発売された「おまけチャッカー」付きの機械は、アタッカー形状やゲージが次々と進化し、釘調整次第ではあるが、マルホン製「パールセブン」は約4,000個、平和製「イリュージョン」ではついに5,000個の出玉が獲得できる釘調整を施す店が出始めるなど出玉合戦が激しくなり、一部地区では問題化することもあった。しかし、この「おまけチャッカー」で出玉を競う一方で、別の動きが平行して起こっていた。 一回の出玉の多さではなく、一回は2,000個を超える程度だが、 それが連続して大当たりするという機種が登場するのである。豊丸製「ドンスペシャルB」がその機種だ。

この機種は、プログラム上では完全なるノーマル機種であったが、保留玉で連チャンするケースが頻発するゲーム性を備えていた。秘密は「大当たりすると、ランプ点灯・効果音・アタッカー開閉動作などCPUに作業量が集中し、処理が間に合わずスタックオーバーしてしまう場合がある」という部分にあった。そして「処理が間に合わなかった場合は、保留玉に書き込む乱数値は前回と同じものを使用する」というエラー回避処理が施されていたのだ。つまり、大当たり後にスタックオーバーし、その後に保留玉が点灯した場合は「前回と同じ乱数値」、つまり「大当たり」が再度繰り返されてしまう仕組みだった。

保留玉連チャン機の元祖「ドンスペシャルB」(豊丸製)

保留玉連チャン機の元祖「ドンスペシャルB」(豊丸製)

ホールで大連チャンを見せる同機は大ヒットし、各社も競ってこの「保留玉連チャン機」を追従し同仕様の機械を発売した。この時代の「おまけチャッカー+連チャン」フィーバー機たちは、まさにフィーバー人気を完全に盛り返すことに成功したのだ。

しかしその後、1990年には風適法が改正され、「一発台」とともに「おまけチャッカー」も姿を消すこととなる。

(以下、次号)

■プロフィール
鈴木 政博
≪株式会社 遊技産業研究所 代表取締役≫立命館大学卒業後、ホール経営企業の管理部、コンサル会社へ経て2002年㈱遊技産業研究所に入社。遊技機の新機種情報収集及び分析、遊技機の開発コンサルの他、TV出演・雑誌連載など多数。

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