【特別寄稿】パチンコ産業の歴史⑨「フィーバー機を復活させた、創意工夫」(WEB版)/鈴木政博

創刊60周年記念にあたり、業界の歴史を振り返る意味に おいて「パチンコ産業の歴史シリーズ」を再掲載しています。 ※この原稿は2010年12月号に掲載していた「パチンコ産業の 歴史⑨」を一部加筆・修正したものです。

1. フィーバー機、出玉規制による低迷からの脱出!
フィーバー機が始めて導入されたのが1980年12月21日。全国に先駆けて新潟県長岡市にあったエース電研の直営店である「パチンコ白鳥」に一挙123台が設置され、ここからフィーバーブームが始まった。しかし、その過熱ぶりから社会問題化し、実質無制限だった出玉性能において1981年に「30秒開放・10ラウンド規制」が、1984年には「10カウント規制」が入る。出玉は最大1,300発となり、そしてブームは急速にしぼんでいった。一方で過激な射幸性を期待する一部のファンは新ジャンルである「ハネモノ」「権利モノ」では満足せず、その受け皿として「一発台」が登場する経緯は前号にて述べた。

「一発台」について再度説明を加えると、もともと「一発台」というジャンルは存在しない。その大半は「平台」と呼ばれるチューリップ機だ。簡単に言えばこの平台を釘調整により一発台化していた。非常に入賞しにくいチヤッカーに入賞すれば特定チューリップが開く。開放後は、通常ならチューリップに玉を入れて終わりだが、これをチューリップが閉じることのないような釘調整にする。そして、チューリップの先端に弾かれた玉が、今までは入賞しづらかった別の入賞口に容易に入賞することにより、店側が「打ち止め」として強制的にチューリップを閉じるまで玉が出続ける仕組みだ。

この「一発台」の仕組みを、フィーバー機も採用できないか。そのアイデアから革命的な機械が生まれることとなる。10カウント規制から3年を経た1987年に登場する、ニューギン製「サンダーバーズI-A」だ。

この機種は、フィーバー機でありながら、その面構えも独特であった(右図参照)。通常は7セグやドラムが回転し、3つ揃えば 「大当たり」となるフィーバー機の常識に新たな工夫を加えた。簡単に言えば、表示部に縦5機、横5機の飛行機が碁盤の目のように並んでおり、左の列から順番に、5機のうち1機が点灯していく。そしてこれが横一列か斜め一列に揃えば大当たり、という仕組みだ。

「サンダーバーズI-A」表示器のイメージ

「サンダーバーズI-A」表示器のイメージ

しかし、この「サンダーバーズI-A」の最も革新的な部分は、表示部ではなかった。この機種ももちろん「10カウント10ラウンド」の規則に沿った機械なのだが、出玉が従来の1,300発を大きく上回る、2,000発以上の獲得が容易にできたのだ。その秘密は、盤面構成にあった。

この機種は表示機が盤面中央下部に、アタッカーが盤面中央上部に搭載されていた。そして大当たりになると、ハネモノのハネのように、左右にハネが開く形状のアタッカーだった。大当たり中はハネに拾われて玉が払い出される。このハネに拾われた玉に関しては従来どおりの10カウントだが、実はハネが開くことにより、その先端部分に弾かれた玉が、通常時にはほとんど入賞する事のない左右のチャッカーに容易に入る仕組みになっていたのだ。従って、10カウントに達するまでに左右チャッカーに5~6個程度の玉が入るため、それを含めて2,000発以上の玉が出るように工夫されていた。ちなみに、もちろんノーマルの釘調整では玉は先端に弾かれても容易には左右チャッカーに入賞しない。しかし、ホールで極端な釘調整を施すことにより、2,000発以上の出玉が獲得できるマシンに変貌する仕組みだった。この左右チャッカーは後に「おまけチャッカー」と呼ばれ、大半の機種に搭載されることとなる。まさに「一発台」のエッセンスを取り入れた、不人気機種と化したフィーバー機を救う画期的な遊技機だったのだ。

残念ながら、この「サンダーバーズI-A」は表示部の特異性もあり、大きなヒットには結びつかなかった。しかし各社から、この仕組みを取り入れた機種が続々と登場する。同1987年に登場した平和製「ブラボーレーザースペーシー」は、表示部に透明な板を重ね、それに光を当てて表示するという美しさ、スペックによって「スタート1個賞球」という新規性に加え、「おまけチャッカー搭載」第2号機として注目され、大ヒットする。その後も各社から次々と「おまけチャッカー」付き遊技機が発売され、フィーバー機は人気回復の兆しが見え始めるのだ。

「おまけチャッカー」を搭載し、人気となった「ブラボーレーザースペーシー」(平和製)

「おまけチャッカー」を搭載し、人気となった「ブラボーレーザースペーシー」(平和製)

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