2. 一発台の誕生
フィーバーブームの過熱ぶりが社会問題化し1981年に「30秒開放、10ラウンド規制」、1984年には「10カウント規制」が入りブームが低下していく中、その過激な射幸性を期待する一部のファンに対しては、新ジャンルである「ハネモノ」「権利モノ」は十分な受け皿にはなりえなかった。特に千葉県はフィーバー規制が厳しく、 千葉県独自の「千葉タイプへの規制」が影響してフィーバー人気は急落。そんな中、千葉県でフィーバー機に代わって登場してきたのが「一発台」だ。
そもそも「一発台」というジャンルは存在しない。1982年に発売され、元祖一発台と言われる西陣製「エレックスサンダーバード」も、元々は一発台として登場したものではなかった。この機種は、天横左右の盤面に穴が空いたような部分があり、そこに玉が飛び込めばチューリップが開放し、通常は入賞が難しいチャッカーへの新たなルートが開かれ入賞しやすくなり、出玉が増えていくゲーム性。ただし再度入賞することでチューリップが閉じてパンクとなる。当初はパンクしやすい機種として設置されていたが、フィーバー規制の影響で後に千葉県を中心に「非常に入賞しにくいが、一度入賞するとパンクしにくい」よう釘調整して使用されはじめ、フィーバー機に代わる高い射幸性の機種として人気が再燃した。その後、1982年~1983年にかけて、各メーカーから様々な機種が発売される。マルホン製「パラレル」「センターフェース」「アラジン」、平和製「エンゼル」、京楽製「イーグルレント」など。そしてこれらが、本来のゲーム性である「パンク」を封じる釘調整をすることにより「一発台」と化し人気を博していくこととなるのだ。入賞口を非常に入りにくい釘調整とし、そして一度入賞するとパンクしないゲーム性になるよう釘調整を施すことにより「入賞とパンクを繰り返す遊べる機械」は事実上「店側が定めた打ち止めまで出っぱなし」となる。こうして普通機は「一発台」として生まれ変わっていった。
1985年の国家公安委員会規則施行後も、いわゆる第一種から第三種にあてはまらない 「その他」の機種として、一発台は多数発売される。もちろん、通常の釘調整のまま使用すれば「一般台」、いわゆる「平台」であり、検定も一般台として許可されたものだが、釘調整次第によって一発台へと変身した。そして1986年に三共が発売した「スーパーコンビ」は、入賞後の三つ穴クルーンで振り分けることにより「奥の2つの穴なら賞球13個、手前なら大当たりで出っぱなし」というドキドキ感が受け、大ヒットへとつながっていく。
こうして、フィーバー機規制後の遊技機市場は「ハネモノ」「権利モノ」に加えて「一発台」というジャンルが確立され、活況を見せていくこととなる。
(以下、次号)
■プロフィール
鈴木 政博
≪株式会社 遊技産業研究所 代表取締役≫立命館大学卒業後、ホール経営企業の管理部、コンサル会社へ経て2002年㈱遊技産業研究所に入社。遊技機の新機種情報収集及び分析、遊技機の開発コンサルの他、TV出演・雑誌連載など多数。