【特別寄稿】パチンコ産業の歴史⑧「権利物誕生の歴史と一発台ブーム」(WEB版)/鈴木政博

創刊60周年記念にあたり、業界の歴史を振り返る意味に おいて「パチンコ産業の歴史シリーズ」を再掲載しています。 ※この原稿は2010年11月号に掲載していた「パチンコ産業の 歴史⑧」を一部加筆・修正したものです。

1. 「権利モノ」誕生の歴史
1985年に風適法が施行、合わせて国家公安委員会規則が施行されて以降、2004年の規則改正で種別撤廃となるまで「第一種(フィーバー機)」、「第二種(ハネモノ)」、「第三種(権利モノ)」というジャンル分けがなされていた事は前号で書いた。ちなみにどれにも当てはまらないものは「その他」と呼ばれており、一般電役でヒットした豊丸産業製「ナナシー」などが当てはまる。「その他」については「第四種」という俗称で呼ばれることもあった。現在でも「一種+二種タイプ」などと呼称されるのは、この種分け区分があった時代の名残りだ。

さて、ここでいう「権利モノ」の誕生までは、様々な紆余曲折があった。前述したように種別分けがなされたのは1985年以降なので、法的に正確な意味での「権利モノ」は「第三種」の事であり、その意味では権利モノの登場は1985年以降となる。その仕様は「Vゾーン入賞で権利発生」→「通常時は無効の始動口が権利発生中は有効になり、始動口入賞でアタッカーや電チューが開放するようになる」というものだ。また権利パンクがあり、パンクは「権利発生中に再度Vゾーンに入賞」 するか、または「最高8ラウンド(1990年から最高16ラウンド)、または始動口に8個目(同16個目)が入賞した時点で、あと一回の開放をもって終了」となる。

ただし、1985年以前から似たような内容の、権利モノの原点ともいえる機種が多数登場していた。古くは手打ち時代から「特定口入賞でチューリップ複数開放」「パンク口入賞で閉じる」などがあったが、平和製「バイキング」や、三共、京楽両社から発売された「ボクシング」などが権利モノの原点に近い。「バイキング」は特定口に入るとアタッカーが2つ開放し、パンク口に入賞するまで開きっぱなしになる。ラウンドやカウントのない時代なので、まさに開きっぱなしなのだが、パンク口は比較的入賞しやすく、わりと遊べる台だったようだ。同じく三共、京楽製「ボクシング」も、特定口入賞でハネが開放動作を開始する仕組みで、ハネに拾われた玉が役物内のパンク口に入賞するまで、ラウンドやカウントに関係なく開閉動作を続ける仕組みだった。この時期の「権利モノの原点」ともいえる機種としては「YouTube遊技日本チャンネル」にて「コスミック(三共)」の動画を公開しているので、よろしければ合わせてそちらもご覧いただきたい。

ちなみに昔は、同一役物を複数メーカーが同時使用して、いくつかのメーカーから同時発売されるケースはめずらしくなかった。

そして1981年と1982年に、以降の「権利モノ」ジャンルの原型となる遊技機が発売される。平和製「バトルエース」と京楽製「コスモアルファ」の2機種だ。「バトルエース」は役物手前中央のVゾーンに入賞すると権利が発生し、権利発生後は盤面下の左右チヤッカーに入るとアタッカーが開くゲーム性で、10ラウンド消化、または再度Vゾーンに入賞するとパンクとなる。「コスモアルファ」は役物内に6つの穴があいた回転体があり、うち2つがVゾーンで権利が発生するというもの。両機種とも再度入賞するとパンクしてしまう点や、一定ラウンド消化または権利発生後の始動口に一定数が入賞すると、次の開放で終了するなど以降の権利モノの原点となる要素が共通していた。どちらも権利発生後に出玉を取るには通常のストロークで打ち続けるしかなく、結構な割合でパンクが発生する遊べる機種だった。

コスモアルファの筐体

80年代前半に「権利モノ」 ジャンルの原型となる遊技機が発売される。写真は京楽製「コスモアルファ」。

以降、権利モノは「権利発生後も通常ストロークで消化するためパンクしやすい」というゲーム性から、「権利発生後は右打ち消化でパンクしない」→「権利の2回目、3回目は権利を獲得しやすくした3回セット」→「権利発生後に始動口に8個目が入賞すると次のラウンドで終了してしまうため、それを防ぐため回転体を始動口に採用し連続入賞を阻止」と様々なアイデアが加味され進化を遂げていく。こうした長い歴史を経て、三洋物産の大ヒット機種である元祖「CRギンギラパラダイス」の登場に至るのだが、それが登場する1995年までに、何と10年の歳月がたっていたのだ。

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