●CRAナカムラのぱちんこ泰然自若65
謹賀新年!いわゆる「あけおめ!」でございます。
いやぁ~バッタバタの年末年始で、ゆっくりパチンコできたのは2日間くらいだったんですけど、①CRフィーバーエルドラで昼から閉店までひたすらハマッた。②P沼でやっと1回当たった。の2つがこの冬の勲章になりましたとさ…。
正月営業真っ盛りのホールと言えば、昔は樽酒振る舞いとかが普通に行われてて、客も店員も泥酔祭り・そこらじゅうでリバース祭り・血の気が多くなってケンカ祭りと、そりゃあもう良くも悪くも色んな意味で賑やかな雰囲気だったんですけど、今ではコンプライアンス的に再現不可なのが悲しいトコロ。
さてさて、今回はそんな古き良き時代における「ぱちんこ屋の正月」について、遠い目をしながら語ってみましょうか。
ナカムラが初めてパチンコ屋でバイトし始めたのは、大学に通い始めたばかりでピチピチの18歳当時。何も不思議に思わずに、まわりの先輩がするように歩きタバコを吹かしながらのホール巡回上等の時代。
正月は店の書き入れ時=「シメれる限界までシメる」のが当たり前で(ココは今でも大差ないかもしれない)、殺伐とした空気に振る舞い酒パワーが加わって、売り上げ額もハンパないがトラブルも普段の3倍増しくらいでは済まないレベルで起こりまくるのだ。冒頭で少し触れてはいるが、上皿下皿になみなみと溢れんばかりにゲロられてたり、酔っぱらいが怒ってガラス割ったり、酒だけが目当ての路上生活者の方々が大挙して押し寄せてきたり…。
しかし最大の問題はそれらのトラブルを処理する側の店員ももれなく酔っぱらいだという事。さらにこういう時は基本的に短縮営業(昼開店~夕方過ぎ閉店)ワンシフトなので、店員たちは開店前からフライング振る舞い酒byセルフで強烈なブーストをかましており、客より早くデキあがってしまっているのである。
今のオシャレで礼儀正しいPACHINKO HALLしか知らない人は想像してみよう!全方位的に客であろうとスタッフであろうと、酔っぱらいしかいないホールを。酒気帯びなんてレベルじゃないぞ?もうガッツリベロンベロンな方々しか視界に入らない状態。どんなに良く言おうとしてもTHE・カオスである。後ろに置いた玉箱が消えるなんて、そんなの小さな事すぎて誰も相手してくれないんですぜ?
今と比べると、通常営業状態でも無法地帯的な要素は盛りだくさんなのに、正月(特に元旦)は世紀末救世主伝説の舞台に進化するのがけっこう当たり前だった事実ww
にわかには信じられない人も多いだろうが、これってほんの二十数年前のハナシで、パチンコ業界ってこの期間でよくもここまで近代化したなぁ…としみじみ感慨に浸るオッサンのヨタ話でございました。
(゚Д゚)じゃ、また来週!
CRAナカムラ
奈良・愛知・岐阜・広島で店長職を10年歴任。その後、大阪の某チェーン店で統括営業本部長職を経て独立。常に打ち手目線を持ちつつ…と言えば聞こえはいいが、この男自身パチンコするのが三度のメシより好きという重症患者。