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【コラム】90年代のパチンコ屋を回想してみる(2)/CRAナカムラ

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●CRAナカムラのぱちんこ泰然自若134
いやーほんとどうなっちゃうんでしょうね、やっと全国的にパチンコ店も平常営業になってきましたが、地域によってはお客さんが全く帰ってこなくて「開けるも地獄・閉めるも地獄」の状態に陥ってしまってるのも多いみたいですね。

実際のところ、休業明けで自社も苦しい中で敢えて放出して、一気に中小を詰ませて殲滅する作戦の大手もあるようですね。確かにこれほど千載一遇の殲滅チャンスは数十年に一度あるかないかでしょうし、本気出してくるのは間違いない。

生粋のパチンコ打ちの立場だけで言わせてもらうなら、大手の寡占ってのは避けてもらいたいのが本音だけども、ある程度はそうなっちゃうでしょうね、今回の終着点では。

さてさて、また前置きが若干長めでしたが、今週は前回の続きで90年代のパチンコ転換期をプレイバック!プレイバック!

スタッフのホール内喫煙!袖からチラチラ見える昇り龍なんて当たり前!そんなホールで働く中で、一番手を取られる仕事は「札管理」である。今って、基本的に無制限営業が当たり前だけど、当時は当たり絵柄を全部確認して【3】【7】であれば、次に【4】【9】で当たるまで交換しないで打てるが、それ以外は1回交換とか持ち玉に関するルールが各ホールごとに複雑で、そこにラッキータイム(時間帯で持ち玉札が貰える)みたいなのが絡んできてけっこうややこしい!

ちなみに当時は低交換率統一だったので、持ち玉になるのと交換するのとでは雲泥の差で、札はそのままお客さんのお金に直結するからミスるとモメる!のだが、ほとんど場合は「イヤなら帰れ」という伝家の宝刀をスタッフが抜いて終了となる理不尽さwwこれこそザ・90年代である。

あと、当時はお客さんの連れてきた子供がホールを走り回ってるのなんか全然珍しくもなく、むしろそれが当たり前だった。子供が積んであるドル箱を蹴っ飛ばしちゃっても「ハイハイまたか?」くらいの出来事である。そんなホール事情で、子供に好かれるというのも、一種の集客力だったのだ。

そこはナカムラ少年の独壇場(まわりはパンチパーマとかイカツイのばっかりだったので当然か)で、毎日の業務のうち「子供と遊ぶ」というミッションがどんどん増えていく事となる。ドル箱を運ぶ台車に子供を座らせて

(゚Д゚)いぇーい!特急はっっしーーーん!

とか言いながら中央通路を爆走したり、カウンター前でバレーボールして角台の客にボールをぶつけたり、まさにやりたい放題ww

(客‘ω’)「今日は来るつもり無かったんやけど、子供が『ナカムラのお兄ちゃんとこに遊びにいくぅ~♪』って言いだしたから…もうまた負けるわ!」

なんて会話も日常茶飯事で、ナカムラ少年と遊ぶ権利を巡って子供たちがケンカみたいな現象も起こり始めたのだった。女の子に至っては「ナカムラと結婚する!」とまで言ってくれる子もいたりして…

(゚Д゚)あの頃がモテ期のピークだったのかなぁ(遠い目)

言うても、ナカムラ少年18歳で遊んでた子供が幼稚園児で3~5歳とか。

15歳差で今ならナカムラ44歳の、相手が29歳くらいか…。

(゚Д゚)今なら全然大丈夫ですがな!むしろ21~22歳くらいでも余裕!

さすがに未成年はマズイという僅かな良心を見せながら、相手にも選ぶ権利があるという事をまるっと無視すればこその発言ではあるが、、、

(゚Д゚)はっ!

いかんいかん、また大きく脱線させてしまったので話を戻そうと思ったんですが、もう文字数がけっこういってるので、来週もう1回だけ90年代の話を続けて締めましょうかね。

じゃあそういうワケで!また来週!

■プロフィール
CRAナカムラ
奈良・愛知・岐阜・広島で店長職を10年歴任。その後、大阪の某チェーン店で統括営業本部長職を経て独立。常に打ち手目線を持ちつつ…と言えば聞こえはいいが、この男自身パチンコするのが三度のメシより好きという重症患者。

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