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【コラム】ナカムラがパチスロの営業マンだった頃のおもひで。序章/CRAナカムラ

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CRAナカムラのぱちんこ泰然自若74
だんだん暖かくなってきて油断してたら、今日いきなり雪が降って困惑中の関西人in東北、CRAナカムラです!こんちわ!

昼の仕事がクソ忙しい中で、過酷な原稿RUSH(84%継続)が重なって今週はまだまともに睡眠が取れておりません…。もうね、この歳でこの生活はマジキツイっすわ。ヒマなのは大人としてダメだけど、過ぎたるは猶及ばざるが如しと申しまして…いつブッ倒れてもおかしくない状況で体力の綱渡りがいつまで持つのやら…。

で、今日はサクッと書きあげたいので近鉄バファローズについて語ってやろうかと思いましたが、編集長がガチ切れする顔が浮かんだので思いとどまりましたww

いやマジで、近鉄バファローズを語るなら1,000文字なんて瞬殺ですからね!半分寝ながらでもスッゲー文章書いてみせますYO。週刊ベースボールかサンスポの方、オファーをお待ちしております。

さてさて、前置きが長くなり過ぎていますが、今日は「おもひで」です。

ココ遊技日本ではあんまり書いてませんが、ナカムラの経歴の中には「営業マン」をしていた時代もちょいちょいありまして…今回は初めて独立営業マンとして動いてた時代の話でもしますかね。

ホールバイトから卒業して、なんとしてもパチンコメーカーに就職したかったナカムラ(大学中退)は、ホームページから藤商事・就職情報誌からオリンピアに応募を済ませて、もう受かったつもりで「どっちに行こうかな~♪」なんて考えてたら、無情にも藤商事は書類で即落ちww オリンピアはとりあえず面接来いとの事で、難波の営業所にスーツ着て行ったワケですよ、履歴書握りしめてね。

当時からパチンコの知識だけは他を寄せ付けぬレベルだったので、ぱちんこ愛を熱苦しいくらいに語って「これはもらった!」って感触だったんだが、社会はそんなに甘くない。結果はアウト!その場でアウト!話し終わって10分もしないうちにアウト!その時やっと気付いたが、当時のオリンピアはパチスロしか出してない(平和との合併前)。

で、アウトはアウトなんだが…奥から偉いさんが出てきて

(偉-ω-)「んー…今回は採用にはならんのだけど、そんなにパチンコ好きでヤル気あるならさ、台は卸してやるから個人で動いてみる?」

という、ある程度この業界を解った今なら、いい意味で「なんじゃそりゃ?そんなのあり?」ってハナシだと思うんだけど、ホールバイト上がりのナカムラは

(゚Д゚)「ほぅ…そんなのもあるんだ!んじゃやってみっか!」

みたいな軽いノリで独立営業マンを始めたのだった。

時代は4号機AT全盛期。どんな機械でもけっこう売れる時代。記念すべき最初の商品が「トリックモンスター」だったことは鮮明に覚えている。しかもこのトリックモンスター、当時のパチスロとしてはかなり安かったと記憶している。

独立営業マンの収入の仕組みは「仕切値」と言われる、メーカーから営業マンに渡す値段が決まっていて、それをいくらで売ろうと自由!だいたい1台あたり3〜6万円くらいの収入があったかな。当時はバラエティコーナーなんてほぼ無かったし、一軒で話が決まれば5~10台はまとめて売れる。個人でやるんだから、1カ月10台も売れれば御の字で、20~30台も売れればプチセレブ。

かくして、ナカムラはこうやって営業マンとして第一歩を踏み出したのだった。

~つづく~

■プロフィール
CRAナカムラ
奈良・愛知・岐阜・広島で店長職を10年歴任。その後、大阪の某チェーン店で統括営業本部長職を経て独立。常に打ち手目線を持ちつつ…と言えば聞こえはいいが、この男自身パチンコするのが三度のメシより好きという重症患者。

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